追悼:松本零士先生

去る2月13日。
漫画家:松本零士先生が逝去されました。
享年85歳。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
私が訃報を知ったのは月曜日の夕方のニュースでした。
本当ならその日のうちにこの記事を書くべきところでしたが、松本作品に夢中になった中高生時代の記憶が次から次へと溢れ出てきてまとめるのに時間がかかってしまいました。

その日の夜は無性に劇場版『銀河鉄道999』を見たい気分になりましたが、残念ながらその時間はありません。
でも、ふと中学時代に買ったサントラレコード「交響詩 銀河鉄道999」を持っていたことを思い出しました。
サントラなら45分であの作品世界を反芻出来ますし、松本先生への感謝と供養の気持ちを表すことが出来ます。

もちろんCDではありません。
中3のときお小遣いで買って何度も聴いたアナログレコードです。
時折プチプチ入るスクラッチノイズも中学の時と全く同じタイミングで鳴るため、目を閉じて聴いているうちスーッと15歳の自分に戻れた気がしました。

劇場版『銀河鉄道999』を初めて見たのは中3の夏。
確か公開3日目くらいだったと記憶しています。
あの頃の私は「年老いた大地を思いきり蹴って」未知の世界に旅立つ鉄郎に完全シンクロしていました。
今住んでいるド田舎(福井)を捨てて都会へ出ることしか頭になかったのです。

でも、50歳を越えて見返したときには、十代の頃とは全く違う側面が心に刺さりました。
「俺にはまだやりたいことが山ほどあるんだ」と志半ばで悔し涙を流しながら死んでいくトチローにいつしか自分を重ねていました。

一生のうち何度も見返せる映画など数えるほどしかありません。
『銀河鉄道999』と『宇宙戦艦ヤマト』(TV版一作目)は私にとって間違いなくそのうちの一つであり、現在の私を形作っているピースの一片でもあるのです。

松本作品が広く世に知られるようになったのはなんといっても’74年放送のTVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』でしょう。
企画途中からの参加ではあったものの、監督・設定担当としてキャラクターとメカニックをデザインし名前と性格付けを与えてあの独自の世界を創り出しました。
原作者ということではないにせよ、私たちが愛した最初の『宇宙戦艦ヤマト』は間違いなく松本零士の作品だったと考えています。
(他の作品に例えるなら『あしたのジョー』におけるちばてつや先生のような存在だったと思っています)
ただし、TV放送時はまるで視聴率が取れずに3クール予定が2クールに短縮。
松本先生の漫画版も(単行本化の際に加筆補正されたものの)不完全燃焼のまま終わってしまいました。

世間が松本作品の魅力に気がついたのは『宇宙戦艦ヤマト』が劇場用映画化された77年からでした。
’77年 『宇宙戦艦ヤマト』映画化 『宇宙海賊キャプテンハーロック』TVアニメ化 『銀河鉄道999』連載開始
’78年 『さらば宇宙戦艦ヤマト』公開 『銀河鉄道999』TVアニメ化 『宇宙戦艦ヤマト2』監督
’79年 『銀河鉄道999』映画化、『宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち』監修として参加
’80年 『ヤマトよ永遠に』監督として参加 TVスペシャルアニメ『マリンスノーの伝説』原作
’81年 『新竹取物語1000年女王』TVアニメ化 『さよなら銀河鉄道999』公開
’82年 『1000年女王』映画化、映画『わが青春のアルカディア』原作
(私がリアルタイムで見た作品のみ抜粋)
こうしてみると、’77年から’82年までの6年間でファンも雑誌・アニメ関係者も松本零士という作家を消費し尽くしてしまったのかも知れません。

実を言うと、今回の松本先生の訃報に対しては不思議に「悲しい」とか「残念」という気持ちは湧いてきませんでした。
例えるなら「中学時代に大好きだった先生が亡くなった」と聞かされたときに似た感覚です。
藤子・F・不二雄先生や石森章太郎先生が亡くなられたときには「もう新作を読めないのか・・・」と身体中の力が抜けるほど悲しかったのに・・・。
松本先生の場合は、85歳というご高齢だったことから無意識のうちに心の準備が出来ていたのかも知れません。
また、ここ数年は完全な新作は発表されていなかった事もあって現役感が薄れていたことも確かです。
しかし、昭和39年生まれの私は、中学/高校の最も多感な時期を松本アニメブームと共に過ごしてきた人間です。
最も多感だった中高生時代に『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』といった先生の代表作に触れることが出来た己の幸運を今改めて感じています。

おかしな言い方かも知れませんが、松本先生は命が尽きる最後の瞬間まで中2病を貫き通した人だったと思います。
これは決して揶揄しているのではありません。
むしろ尊敬と羨望の言葉と受け取っていただきたいです。
自分が85歳になったとき、ドクロマークの帽子を被って若者相手に熱い言葉を語りかけることなど出来るだろうか?。
中高生時代に自分が松本先生から受け取った何かを次世代の子たちに受け渡せるのか?。
「遠く時の輪の接する処でまた巡り会える」
そんな恥ずかしくもカッコ良いセリフを堂々と言い放つ松本零士という人に、今もまだ心の奥底で憧れ続けている自分がいます。
松本先生、ありがとうございました。
どうか安らかに。