ゴジラシリーズ全作品レビュー1 『ゴジラ』(昭和29年版)
私がブログを始めるにあたり、必ずやりたかったことの一つが『ゴジラ』シリーズ全作のレビューを書き残すことでした。
最初に取り上げるのは当然、第一作目の『ゴジラ』(昭和29年)です。
『ゴジラ』(昭和29年)

<あらすじ>
度重なる核実験の影響で、太古の恐竜が巨大化して現われた。
最初に被害を受けた大戸島の伝説に因んで「ゴジラ」と命名されたその巨大生物は、一度ならず二度までも東京に上陸して街と人々を蹂躙していく。
そればかりか、口から吐き出す放射能火炎の影響で大地は汚染され、かろうじて生き延びた住民も重度の放射線被曝を被ってしまった。
湾内に潜むだけで経済麻痺を引き起こし、上陸すれば破壊の限りを尽くすゴジラの前に日本という国が壊死していく。
防衛隊のあらゆる戦力も通じないゴジラに対して、唯一の対抗策と成り得る新技術があった。
兵器として利用されれば、核をも超える大量殺戮兵器になるという水中酸素破壊装置オキシジェンデストロイヤーである。
発明者の芹沢博士はこれを開発してしまったことに苦悩しており、ゴジラ対策のために使わせて欲しいという頼みを頑なに拒むのだった。
しかし、被災者の惨状を目の当たりにしたことから、人間としての良心に従い一度限りの使用を許諾する。
それはゴジラを抹殺すると同時に、自らの命と引き換えにオキシジェンデストロイヤーをも封印することを意味した。
核の恐怖を具現化したゴジラを封じるために、核をも超える兵器を使わざるを得ないという人類のジレンマを描き出した素晴らしいストーリーです。
しかし、この感想は何度も何度も観返してこの映画の本質が見えてきてからのものです。
初めて観た時の私は、今とは全く違う印象を抱いていました。
日本怪獣映画の始祖である『ゴジラ』を観たはずなのに、途中から何か別の映画にすり替えられたようなちぐはぐさを感じたのです。
【出会い】


プロフィールにもあるとおり、私は1971年の『ゴジラ対へドラ』で映画の洗礼を受けた人間です。
以後も『ゴジラ対メカゴジラ』までは休みの度に東宝チャンピオンまつりに連れて行ってもらい、短縮版の『ゴジラ電撃大作戦』や『ゴジラの息子』なども観ていました。
その頃には『流星人間ゾーン』への客演もあったりして、子供の頃の私は「ゴジラは人間の味方」という認識を持っていたのです。
親に「ゴジラって昔はすごく悪い怪獣だったんだよ」と教えられても全く信じられませんでした。


そんな私が初めて第一作目の『ゴジラ』を観たのは大学生になってからのことです。
1983年の夏、「ゴジラ1983復活フェスティバル」と銘打って『ゴジラ』も含めた20本の東宝特撮映画が一挙に再上映されました。
(この時の好成績が翌年の新作『ゴジラ』(昭和59年版)の制作につながったとのことです)
おかげで、『ゴジラ』の初鑑賞を劇場の大スクリーンで体験することが出来ました。
【戸惑い】
『ゴジラ』第一作を観終わったあとにはゴジラの恐怖はさほど残っておらず、何かいいようのない喪失感に支配されたことを憶えています。
ラストでゴジラが最後の大暴れをすることもないまま黙って芹沢と刺し違えたような印象で、音楽も鎮魂歌のような静かな楽曲が流れ続けていました。
「日本最初の怪獣映画」を期待して観ていた私はただただ戸惑うばかりでした。
「昭和29年は戦争が終わって9年しか経っていないうえに第五福竜丸事件が起きたばかりだったから制作者は感傷的になっていたのだろう。」
「製作途中で作者の興味がゴジラからオキシジェンデストロイヤーへと移ってしまったのではないか?」
長い間、私は『ゴジラ』第一作についてこのように考えていました。
【主役】


俳優の宝田明さんが、『ゴジラ』に出演した当時の思い出としてこんなエピソードを披露しています。
当時新人だった宝田さんがスタッフや共演者に「主役をやらせていただきます宝田です。よろしくお願いします。」と挨拶をしたところ、「主役はお前じゃない、ゴジラだよ。」とからかられたという話です。
確かに宝田さんが演じた尾形はほぼすべてのシーンに登場して状況を見聞しますが、あくまでもストーリーのガイド役であり主役という呼び方は適切ではありません。

「主役はゴジラだ」といわれればそうかも知れません。
核のメタファーとしての存在意義もさることながら、情け容赦無く街を破壊しつくすその姿はまさに恐怖の千両役者でした。
あの戦争や第五福竜丸事件を肌身で知る制作者たちの強い想いが、この架空の生物に比類ないリアリティをもたらしています。
しかし、私にはこのゴジラが主役であるようにも見えませんでした。
【考察】
理由はこの映画におけるゴジラ登場場面の時間配分にあります。
『ゴジラ』の上映時間は約1時間36分ですが、「起・承・転・結」で4つのパートに分かれています。

「起」・・・冒頭から大戸島でゴジラが目撃されるまでが24分。


謎の海難事故と大戸島の被災という不可思議な現象を立て続けに描きつつ、状況と登場人物の紹介がなされていくパートです。
ゴジラの出番は大戸島で山あいから顔を出すだけでした。
しかし、ここに至るまでの状況描写の積み重ねで観客の期待値はピークに達しているため、ひと吼えだけでもとてつもないインパクトを残します。
大戸島調査団の見送り人として芹沢博士が1シーンだけ顔を見せています。

「承」・・・ゴジラの存在が報告されてから最初に上陸して海に帰るまででちょうど半分の48分。


このパートには芹沢が恵美子に研究成果を見せる場面がありますが、その内容がどういうものなのかは明かされません。
そして遂にゴジラが全貌を現し、前哨戦として芝浦、品川を破壊したのち海に去っていきます。
この時にはまだ放射能火炎を吐くところは見せていません。

「転」・・・対策会議からゴジラ2度目の上陸、破壊の限りを尽くして再び海に帰るまでが1時間9分。


この約20分間はゴジラの独壇場です。
防衛線である5万ボルトの電流もものともせず、放射能火炎で街も人も焼き払い、いかなる攻撃にもビクともしません。
有名な「お父ちゃまの所へ行くのよ」の母子や「さようならみなさん」の報道陣のシーンもこのパートです。

「結」・・・被災の描写から芹沢博士の葛藤を経てエンドマークまで27分間。




この最後の「結」パートにおいて、ゴジラは全くといっていいほど出番がありません。
ラストの海底シーンで静かに佇むだけで、海上にいる艦船や迫ってくる芹沢たちを攻撃するようなこともしません。
映画の終盤約27分=全体尺の4分の1を、まるまる芹沢とオキシジェンデストロイヤー関連の描写に費やしています。
この展開では観終わる頃にゴジラの印象が薄らいでしまうのも無理はありません。
製作者が意図してゴジラを主役として扱っていないことは明らかです。

主役はオキシジェン・デストロイヤーとそれを作った芹沢博士です。
ゴジラは核のメタファーとして描かれていますが、その核をも凌ぐオキシジェンデストロイヤーという鬼子を描くための当て馬にすぎなかったとすら思えます。
この視点に立って観れば『ゴジラ』という作品が最初から最後まで腑に落ちる内容であることが分かります。
しかし現在の私たちはこの映画を「ゴジラシリーズの一作目」として観てしまうため、ゴジラの最後の見せ場がないことに違和感や物足りなさを感じてしまうのでしょう。
【悪影響】
この作品でゴジラに相対する存在として登場したオキシジェンデストロイヤーですが、後に続くほとんどの特撮作品に悪い影響を及ぼしたのも事実だと思います。




メ―サー殺獣光線、スーパーX、キングギドラにメカゴジラ、果てはガイガンやメガロまで。
ゴジラへの対抗策として、あるいはその存在を引き立てるための存在として、安易に架空の超兵器や対立怪獣を登場させるようになってしまいました。
日本怪獣映画の始祖である『ゴジラ』が、オキシジェンデストロイヤーという架空の超兵器の存在を内包していたことが悪しき前例になっていたのです。

そこから脱却し得たのが昨年公開された『シン・ゴジラ』です。
ゴジラの存在という唯一無二のフィクション(虚構)を、余計な第2第3のフィクション(方便)を一切排除してリアルに描ききった点において『シン・ゴジラ』は初代を超えたと言ってよいでしょう。
『シン・ゴジラ』のキャッチコピーは「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」でしたが、それに対してほぼ全ての怪獣映画は「虚構(ゴジラ)対虚構(他の怪獣や超兵器)」ということになります。
そのことに関しては『ゴジラ』第一作目も例外ではないのです。

それでも、最初の『ゴジラ』が歴史的傑作であることには変わりありません。
先駆者たる当時の制作スタッフの創意工夫や、真摯な演技でそれを支えた出演者への敬意は微塵も揺らぐことはありません。

かなりの長文になってしまい恐縮です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。