週刊映画鑑賞記(2023.7/17~2023.7/23)
CATEGORY週刊映画鑑賞記
トガジンです。
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。
7/18(火)
『君たちはどう生きるか』🈠
(劇場:福井コロナシネマワールド)

今週唯一の休日だった火曜日に、例の「宣伝しない宣伝」でずっと気になっていたこのアニメ映画を観てきました。
福井でも猛暑日が続いて身体が疲れ切ってしまったため帰宅後映画を見る体力は残っておらず、結局今週観たのはこれ一本だけでした。

先週行った109シネマズ大阪エキスポシティもそうでしたが、最近は紙のチケットではなくスマホを使った電子チケットが増えてきました。
便利といえば便利ですが、上映時間直前にスマホが充電切れになったり壊れたりしたらどうなるんでしょ?。
確認番号もスマホ内のメールでしか分からないというのに・・・。

劇場内の写真を取り損ねましたが、観客は私を含めて40~50人くらいいたと思います。
平日の真昼間にしてはかなり多いほうです。
宣伝ゼロだというのに「流石は宮崎アニメ」といったところでしょうか。
カップルと若い女性のグループが多かったですが、試験休みなのか高校生くらいのグループも数人いました。
あと、私と同じオジサンお一人様も結構いたと思います(笑)。
出来ればアニメ好きの妻と一緒に観に行きたかったのですが、夏の繁忙期に突入しているため私はこの日しか休みが取れず、夫婦で休みを合わせることが出来ませんでした。
ちなみに妻は、私の妹(同じくアニメ好き)とオバサン二人組で昨日観てきたそうです。
「宣伝を一切しない映画」として逆に話題になっていた作品ですが、公開初期にはパンフレットさえ売らないという徹底ぶりです。
なるほど、ここまで宣伝無しを貫いてネタバレ防止してきたのに、初日にパンフレットの内容や写真をネットで公開されてしまったら意味がありませんからね。
ただ、正直言うと私もパンフレットの写真をスキャンしてこの記事に使うつもりでいたので困りました(笑)。
まだ頭の中が整理出来ていないため、今回の記事は観賞中に感じたことをそのまま羅列していきます。
ネタバレに繋がる部分も若干混じっていますが、映画を見てなければ多分何のことだかさっぱり分からないと思いますからそのまんま書きます(笑)。
【確かに難解だがあの短編よりは遥かにマシ】
ネットでは「難解」「面白くない」と書かれている人が多いようですが、無限に近い解釈が出来そうなくらい難解だった『On Your Mark』に較べればよっぽどマシだと感じました。
ただ、中盤以降に登場する異世界やそこに住むキャラクター(大叔父や鳥たち)の説明が皆無に等しいため、やはり何度か見返して理解を深めていく類の映画だと思います。
解釈を観客のイマジネーションとインテリジェンスに委ねるタイプの映画で、例えるなら『2001年宇宙の旅』みたいな映画だと感じました。
さあ、みんな!。
この夏は何度も映画館に通って『君はどう生きるか』を考察しまくろうぜ!。
そしてジブリに大儲けさせて、次の宮崎アニメを作ってもらおうじゃないか!。
【最初の困惑】
今回、宮崎監督作品にしてはとても珍しいお遊び要素がありました。
戦時中のお話なのですが、出征する若者の名前が「片山一良」となっているのです。
片山一良とは、古くからの宮崎アニメスタッフの一人であり、本作では助監督を務めている片山一良氏のことです。
幼い頃に戦争を経験している宮崎監督が、戦時中を描く作品の中でこんな不謹慎な遊びをすることに違和感がありました。
『風立ちぬ』では「兵器は好きだが戦争は嫌い」という矛盾した気持ちを作品化していたはずなのに?。
この時点でこの映画とどう向き合うべきか分からなくなりました。
【原作本の扱い】
タイトルは1937年に書かれた「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)から取られていますが、内容は全くの別もので映画には主人公が目にする本の中の一冊として登場するのみです。
しかし、映画には主人公が「君たちはどう生きるか」のあるページを読んでポロポロと涙をこぼす場面があります。
画面には亡き母のメッセージが書き加えられたあるページの一部が大写しになるのですが、そのページに書かれている内容がこの映画を読み解くカギなのかもしれません。
でも、映ったのはほんの一瞬だったため内容は判別出来ませんでした。
もう一度見に行く機会があったら、この部分の文章を一節だけでも覚えて帰って吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」のその部分を探して読んでみたいです。
(でも、多分ブルーレイが出るまでは判別するのは無理かな~。)
【脱・高畑勲】
これまでの宮崎駿監督は、先輩でありライバルであり最高の友人でもあった故・高畑勲監督の影響から逃れられずにいました。
『ナウシカ』『ラピュタ』ではプロデューサーを担当した高畑氏と内容について何度も衝突し、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』は同時上映ということで優秀なスタッフを奪い合ったりもしたそうです。
その後も宮崎監督は新作を作るたびに高畑監督の批判を気にし続けていました。
鈴木敏夫プロデューサーの著書によると、宮崎監督は描き上げた企画書や絵コンテを鈴木氏に見せながら「こんなことやったら高畑さんに叱らせるかな」と気弱なことを言うことが多かったそうです。
また、納得いくまで粘りに粘って公開延期も辞さない完全主義者の高畑監督に対抗するかのように、宮崎監督は多少内容に妥協してでも納期は必ず守ってみせました。
そして、高畑作品がジブリにもたらし続ける大赤字を宮崎監督作品の興行収入で補填するという負の連鎖に嫌気がさして「ジブリなんかもう止めだ!」と何度も口走ったことはファンには有名な話です。
そんな高畑監督が他界してから初めて作られた宮崎アニメが『君はどう生きるか』です。
もう高畑先輩の目を気にすることはありません。
そして高畑監督と同じようにとことん自分の思い通りに作品を作れる環境を鈴木プロデューサーが用意してくれました。
だから『君たちはどう生きるか』は宮崎駿監督が思う存分に創作し得た映画だと思っておりました。
【女性たち】
宮﨑アニメには珍しく『君はどう生きるか』には美少女キャラが出てきません。
過去作品におけるラナ、クラリス、ナウシカ、シータのような男の子が自分が好きな女子を投影しながら見る女の子キャラ(いわゆるロリータキャラ)が居ないのです。
まずこの点が以前の宮崎アニメと決定的に違います。
確かに亡くなった母親が少女時代の姿で出てきますが、それはあくまで主人公の母親であって恋愛対象にはなり得ません。
女性の登場人物は、まず主人公の叔母であり継母となるナツコさん。
彼女は既に父親の子供(主人公の腹違いの弟)を妊娠中です。
このナツコさんの描写が妙にエロチックで、宮﨑アニメでこんな匂い立つような生々しい女性描写は初めてのような気がします。
画像が使えないのがもどかしくて仕方ありません(笑)。
ナツコさん以外では、母の実家の年老いた女中さんたちが数名。
そのうちの一人キリコさんは異世界で若返った姿で登場しますが、現実世界ではあくまでお婆ちゃんです。
あと、「ヒメ」と呼ばれる異世界の女王もいましたが、あれは母親の若い頃と同一だったかも?。(この辺は記憶が曖昧です)
【父親】
主人公の父親は、母を失ったばかりの息子の心情をまるで顧みないKY男として描かれています。
自分の奥さんが亡くなったばかりというのに速攻で亡き妻の妹と再婚し、しかも既に赤ちゃんを孕ませているという・・・。
「姉妹ド●ブリかよ!」と男としては腹が立つやら妬ましいやらですが、実はこうした「嫁いだ先で姉が亡くなった時、妹が代わって嫁入りする」という風習は昔は多くあったらしいです。
父親の会社は軍需産業で儲かっているようでしたし、母方の実家は昔ながらの良家らしいので両家の婚姻関係が途切れてしまうと双方とも損失が大きいためです。
【エヴァンゲリオンとの類似】
しかし、そんな父の無配慮な行動は実母を失ったばかりの息子としては精神的に受け入れがたいはずです。
そのため、主人公:真人は映画の序盤では心を閉ざして「良い子」を演じる人形みたいな少年として描かれていました。
この点は庵野秀明監督の『エヴァンゲリオン』と同じ構造であり、後半で亡き母の魂が主人公を守ってくれるという点にも共通性を感じます。
今までの宮崎アニメの代名詞だった主人公の疾走や空を飛ぶ爽快さはこの作品にはありません。
その点も『エヴァンゲリオン』の碇シンジにそっくりです。
大勢の観客が『君はどう生きるか』に失望した理由は多分その辺にあると思います。
【宮崎アニメ新体制】
今回宮崎監督は、作画作業に関しては全て本田作画監督に一任して画コンテ作成に集中したそうです。
82歳の宮崎監督には以前のように全部のカットを自分で描き直すようなエネルギーは無いかも知れませんが、優秀な若いスタッフが支えることで今後も映画作りを持続するシステムが構築出来たと思います。
今回のような体制であればあと2~3本は作れそうな感じです。
今回の映画を音楽に例えるなら・・・
長い活動歴を持つアーティストのベストアルバムと思って聴いていたら、さりげなく新曲が紛れ込んでいたみたいな感じです。
そういえば、クレジットの名前が「宮崎駿」から「宮﨑駿」へと一文字変わっていました。
シン・宮﨑駿の次回作に期待している自分がいます。
m(__)m
今回は考えが全然まとまっていないうえに画像も使えないため、とりとめのない記事になっていると思います。
ご容赦ください。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。
7/18(火)
『君たちはどう生きるか』🈠
(劇場:福井コロナシネマワールド)

今週唯一の休日だった火曜日に、例の「宣伝しない宣伝」でずっと気になっていたこのアニメ映画を観てきました。
福井でも猛暑日が続いて身体が疲れ切ってしまったため帰宅後映画を見る体力は残っておらず、結局今週観たのはこれ一本だけでした。

先週行った109シネマズ大阪エキスポシティもそうでしたが、最近は紙のチケットではなくスマホを使った電子チケットが増えてきました。
便利といえば便利ですが、上映時間直前にスマホが充電切れになったり壊れたりしたらどうなるんでしょ?。
確認番号もスマホ内のメールでしか分からないというのに・・・。

劇場内の写真を取り損ねましたが、観客は私を含めて40~50人くらいいたと思います。
平日の真昼間にしてはかなり多いほうです。
宣伝ゼロだというのに「流石は宮崎アニメ」といったところでしょうか。
カップルと若い女性のグループが多かったですが、試験休みなのか高校生くらいのグループも数人いました。
あと、私と同じオジサンお一人様も結構いたと思います(笑)。
出来ればアニメ好きの妻と一緒に観に行きたかったのですが、夏の繁忙期に突入しているため私はこの日しか休みが取れず、夫婦で休みを合わせることが出来ませんでした。
ちなみに妻は、私の妹(同じくアニメ好き)とオバサン二人組で昨日観てきたそうです。
「宣伝を一切しない映画」として逆に話題になっていた作品ですが、公開初期にはパンフレットさえ売らないという徹底ぶりです。
なるほど、ここまで宣伝無しを貫いてネタバレ防止してきたのに、初日にパンフレットの内容や写真をネットで公開されてしまったら意味がありませんからね。
ただ、正直言うと私もパンフレットの写真をスキャンしてこの記事に使うつもりでいたので困りました(笑)。
まだ頭の中が整理出来ていないため、今回の記事は観賞中に感じたことをそのまま羅列していきます。
ネタバレに繋がる部分も若干混じっていますが、映画を見てなければ多分何のことだかさっぱり分からないと思いますからそのまんま書きます(笑)。
【確かに難解だがあの短編よりは遥かにマシ】
ネットでは「難解」「面白くない」と書かれている人が多いようですが、無限に近い解釈が出来そうなくらい難解だった『On Your Mark』に較べればよっぽどマシだと感じました。
ただ、中盤以降に登場する異世界やそこに住むキャラクター(大叔父や鳥たち)の説明が皆無に等しいため、やはり何度か見返して理解を深めていく類の映画だと思います。
解釈を観客のイマジネーションとインテリジェンスに委ねるタイプの映画で、例えるなら『2001年宇宙の旅』みたいな映画だと感じました。
さあ、みんな!。
この夏は何度も映画館に通って『君はどう生きるか』を考察しまくろうぜ!。
そしてジブリに大儲けさせて、次の宮崎アニメを作ってもらおうじゃないか!。
【最初の困惑】
今回、宮崎監督作品にしてはとても珍しいお遊び要素がありました。
戦時中のお話なのですが、出征する若者の名前が「片山一良」となっているのです。
片山一良とは、古くからの宮崎アニメスタッフの一人であり、本作では助監督を務めている片山一良氏のことです。
幼い頃に戦争を経験している宮崎監督が、戦時中を描く作品の中でこんな不謹慎な遊びをすることに違和感がありました。
『風立ちぬ』では「兵器は好きだが戦争は嫌い」という矛盾した気持ちを作品化していたはずなのに?。
この時点でこの映画とどう向き合うべきか分からなくなりました。
【原作本の扱い】
タイトルは1937年に書かれた「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)から取られていますが、内容は全くの別もので映画には主人公が目にする本の中の一冊として登場するのみです。
しかし、映画には主人公が「君たちはどう生きるか」のあるページを読んでポロポロと涙をこぼす場面があります。
画面には亡き母のメッセージが書き加えられたあるページの一部が大写しになるのですが、そのページに書かれている内容がこの映画を読み解くカギなのかもしれません。
でも、映ったのはほんの一瞬だったため内容は判別出来ませんでした。
もう一度見に行く機会があったら、この部分の文章を一節だけでも覚えて帰って吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」のその部分を探して読んでみたいです。
(でも、多分ブルーレイが出るまでは判別するのは無理かな~。)
【脱・高畑勲】
これまでの宮崎駿監督は、先輩でありライバルであり最高の友人でもあった故・高畑勲監督の影響から逃れられずにいました。
『ナウシカ』『ラピュタ』ではプロデューサーを担当した高畑氏と内容について何度も衝突し、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』は同時上映ということで優秀なスタッフを奪い合ったりもしたそうです。
その後も宮崎監督は新作を作るたびに高畑監督の批判を気にし続けていました。
鈴木敏夫プロデューサーの著書によると、宮崎監督は描き上げた企画書や絵コンテを鈴木氏に見せながら「こんなことやったら高畑さんに叱らせるかな」と気弱なことを言うことが多かったそうです。
また、納得いくまで粘りに粘って公開延期も辞さない完全主義者の高畑監督に対抗するかのように、宮崎監督は多少内容に妥協してでも納期は必ず守ってみせました。
そして、高畑作品がジブリにもたらし続ける大赤字を宮崎監督作品の興行収入で補填するという負の連鎖に嫌気がさして「ジブリなんかもう止めだ!」と何度も口走ったことはファンには有名な話です。
そんな高畑監督が他界してから初めて作られた宮崎アニメが『君はどう生きるか』です。
もう高畑先輩の目を気にすることはありません。
そして高畑監督と同じようにとことん自分の思い通りに作品を作れる環境を鈴木プロデューサーが用意してくれました。
だから『君たちはどう生きるか』は宮崎駿監督が思う存分に創作し得た映画だと思っておりました。
【女性たち】
宮﨑アニメには珍しく『君はどう生きるか』には美少女キャラが出てきません。
過去作品におけるラナ、クラリス、ナウシカ、シータのような男の子が自分が好きな女子を投影しながら見る女の子キャラ(いわゆるロリータキャラ)が居ないのです。
まずこの点が以前の宮崎アニメと決定的に違います。
確かに亡くなった母親が少女時代の姿で出てきますが、それはあくまで主人公の母親であって恋愛対象にはなり得ません。
女性の登場人物は、まず主人公の叔母であり継母となるナツコさん。
彼女は既に父親の子供(主人公の腹違いの弟)を妊娠中です。
このナツコさんの描写が妙にエロチックで、宮﨑アニメでこんな匂い立つような生々しい女性描写は初めてのような気がします。
画像が使えないのがもどかしくて仕方ありません(笑)。
ナツコさん以外では、母の実家の年老いた女中さんたちが数名。
そのうちの一人キリコさんは異世界で若返った姿で登場しますが、現実世界ではあくまでお婆ちゃんです。
あと、「ヒメ」と呼ばれる異世界の女王もいましたが、あれは母親の若い頃と同一だったかも?。(この辺は記憶が曖昧です)
【父親】
主人公の父親は、母を失ったばかりの息子の心情をまるで顧みないKY男として描かれています。
自分の奥さんが亡くなったばかりというのに速攻で亡き妻の妹と再婚し、しかも既に赤ちゃんを孕ませているという・・・。
「姉妹ド●ブリかよ!」と男としては腹が立つやら妬ましいやらですが、実はこうした「嫁いだ先で姉が亡くなった時、妹が代わって嫁入りする」という風習は昔は多くあったらしいです。
父親の会社は軍需産業で儲かっているようでしたし、母方の実家は昔ながらの良家らしいので両家の婚姻関係が途切れてしまうと双方とも損失が大きいためです。
【エヴァンゲリオンとの類似】
しかし、そんな父の無配慮な行動は実母を失ったばかりの息子としては精神的に受け入れがたいはずです。
そのため、主人公:真人は映画の序盤では心を閉ざして「良い子」を演じる人形みたいな少年として描かれていました。
この点は庵野秀明監督の『エヴァンゲリオン』と同じ構造であり、後半で亡き母の魂が主人公を守ってくれるという点にも共通性を感じます。
今までの宮崎アニメの代名詞だった主人公の疾走や空を飛ぶ爽快さはこの作品にはありません。
その点も『エヴァンゲリオン』の碇シンジにそっくりです。
大勢の観客が『君はどう生きるか』に失望した理由は多分その辺にあると思います。
【宮崎アニメ新体制】
今回宮崎監督は、作画作業に関しては全て本田作画監督に一任して画コンテ作成に集中したそうです。
82歳の宮崎監督には以前のように全部のカットを自分で描き直すようなエネルギーは無いかも知れませんが、優秀な若いスタッフが支えることで今後も映画作りを持続するシステムが構築出来たと思います。
今回のような体制であればあと2~3本は作れそうな感じです。
今回の映画を音楽に例えるなら・・・
長い活動歴を持つアーティストのベストアルバムと思って聴いていたら、さりげなく新曲が紛れ込んでいたみたいな感じです。
そういえば、クレジットの名前が「宮崎駿」から「宮﨑駿」へと一文字変わっていました。
シン・宮﨑駿の次回作に期待している自分がいます。
m(__)m
今回は考えが全然まとまっていないうえに画像も使えないため、とりとめのない記事になっていると思います。
ご容赦ください。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
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