トガジン的『ゴジラ-1,0』大予想(大妄想とも云う)

「マイナス・ワン?、何じゃそりゃ?。」と最初はひどく奇異に感じたタイトルにもすっかり慣れてしまった(笑)『ゴジラ-1,0(マイナス・ワン)』。
その公開日まであと2日!。
今回は、公開直前企画として『ゴジラ-1,0』がどんなお話なのかを事前予想(妄想)して楽しんでみたいと思います。
完成披露試写会では絶賛の嵐だったとか『シン・ゴジラ』の樋口真嗣監督が「嫉妬を感じた」と語ったとか色々な逸話が聞こえてきておりますが、私としては11月第2週に観に行く日まで全ての情報をシャットダウンしています。
そのため、今の私にある情報源は昨年5月に本作の撮影に参加したときに知り得た情報と2種類の予告編のみ。
そこから私なりに読み解いて脳内構築してみました。
公開前にあれこれ想像して楽しむことが目的ですので、間違っていてもどうか目くじら立てないでやってください(笑)。
逆に「実際に観るまでは余計な先入観を持ちたくない」という方はこの駄文を読まないことをお薦めします。
【時代設定が昭和22年であること】

終戦からわずか2年後の昭和22年のお話であることは昨年エキストラとして参加したときから知っておりました。
公式発表はされていませんでしたが、募集内容に「昭和22年」と明記されていて茶髪・金髪・ピアス穴がある人は参加不可という項目があったからです。
時代設定から考えると、今回ゴジラを迎え撃つのはアメリカ進駐軍に違いないと考えています。
大日本帝国軍は終戦直後の昭和20年9月に解体されていますから、この時代の日本で「戦う力」を持っているのはマッカーサー連合国軍最高司令官率いるアメリカ進駐軍しかないからです。
【ゴジラ英霊説をやろうとしている?】

ゴジラが日本を襲う理由については昔から不明瞭なままでした。
昭和29年公開の『ゴジラ』第1作では、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験の放射能により誕生したゴジラは何故か二度も東京に上陸して破壊の限りを尽くします。
アメリカの核実験で大火傷したうえに放射能汚染までさせられたのなら、その怒りはアメリカにぶつけるべきだろうと思うのですがね。
しかしゴジラは観音崎沖から上陸後、芝浦・新橋・銀座・数寄屋橋を破壊しながら進み、国会議事堂を破壊したあと何故か皇居は素通りして上野・浅草を経て東京湾沖へと去って行きました。
ゴジラが皇居の前でUターンするのを見た作家の三島由紀夫氏は「ゴジラには太平洋戦争で死んでいった南方の兵士たちの英霊が憑りついているに違いない」と考えたそうです。
また、映画評論家の川本三郎氏も著書で「ゴジラ=日本軍の英霊説」を書き記しています。

では、どうして英霊たち(ゴジラ)は復興したばかりの祖国を襲うのでしょうか?。
かつて自分たちが命を賭して守ろうとした街や同胞たちを蹂躙する理由が分かりません。
『ゴジラ2000<ミレニアム>』(1999年)では「ゴジラは人間の作り出すエネルギーを憎んでいるのではないか?。」と語られていました。
おそらくケバケバしい銀座の明かりと原水爆の光を同一視したのだろうという解釈だと思いますがそれもちょっと無理があります。
また、ストーリーに初めて「ゴジラ英霊説」を盛り込んだ『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)では「どうして日本兵の英霊が日本を襲うのか?」という疑問に対し「犠牲になったアジアの人々とアメリカ人と原爆で死んだ日本人がひとつになったんじゃないか?」という考察が語られました。
でも、アジアの人々や原爆被害者はともかくとしてもアメリカ人がゴジラに乗り移ったとは考えられません。
なぜならば、ゴジラはアメリカの核実験の落とし子なのですから。
『ゴジラ』第1作が内包するこの矛盾は、制作・公開されたのが終戦から9年も経過した昭和29年だったことに起因します。
昭和29年にはアメリカ軍は既に日本を去っているため、ゴジラが真に憎むべき敵はもう日本には居なかったのです。

今回『ゴジラ-1,0』の時代設定を昭和22年にしたのは「ゴジラが日本を襲う理由を明確化するため」だと思っています。
昭和22年なら当時日本に駐留していたアメリカ軍とゴジラを戦わせることが出来ますし、しかもその指揮官は連合国軍最高司令官なのですから相手にとって不足はありません(笑)。
でも、予告編の中にちょっと気になるセリフがありました。

「その怪物は許しちゃくれない」
このセリフをそのままの意味で受け取るなら、その怪物(ゴジラ)はやはり日本人を憎んでいることになります。
う~む、分からなくなってしまった・・・。
【原爆や水爆実験との関係は?】

初代ゴジラはビキニ環礁の原水爆実験によって誕生しました。
ビキニ環礁における核実験は昭和21年には既に始まっていましたから、昭和22年の話である『ゴジラ-1,0』もビキニの核実験が元凶だとすることは可能です。
でも、私としてはゴジラ映画はそろそろ広島・長崎に落とされた原爆をモチーフにするべきではないかと考えています。
なぜならば、広島長崎の被爆体験者は高齢化で当時を知り語り継ぐひとが居なくなりつつあるからです。
もちろん、当事者たちの感情を考えれば難しい面が多いことは分かっています。
私も学生時代に「福井に上陸した怪獣を倒すため敦賀の原発に誘い込んで核爆発で退治する」という自主映画の企画を出したことがあったのですが、それを読んだ広島出身の友人が「放射能や原子力を安易にネタにするな!」と激怒して取っ組みあいの喧嘩に発展したことがありました。
あとから彼に理由を尋ねたところ、彼の親族には被爆の後遺症に苦しんでいる人が何人もいたから・・・だったそうです。
原爆で肉親や友人を失っただけでなく自身や親族が被爆してしまった方々への配慮は絶対に忘れてはなりません。
しかし、現在では広島で『はだしのゲン』を封印しようとするなど辛い過去から目を背けようとする風潮もみられます。
批難から逃げずに広島・長崎の原爆をゴジラ映画に盛り込み、若い人たちの記憶にあの忌まわしい記憶を刻みつけることは日本人としての急務であると考えます。
【敵怪獣は登場するのか?】

『ゴジラ-1,0』は『シン・ゴジラ』と同じくゴジラ対人間の物語であって敵対怪獣は登場せず、これ一本で完結するスタンドアローンな作品だろうと思っています。
撮影現場でご一緒したエキストラ仲間の一人は、本作は『ゴジラ0(ゼロ)』、つまり第一作の前日譚ではないかと語っておりました。
それはそれで面白いとは思いましたが、一作目の中に「7年前にもゴジラが上陸した」という描写が無い以上前日譚という線は無いと思ってます。
それでも、あの日の彼等との予想話や怪獣談義は短い時間ながらも本当に楽しいひと時でした。
私としては「ゴジラがもう一匹出る」という話は見てみたいです。
なぜなら、私は『84ゴジラ』公開直後に続編ストーリー募集が開催されたとき「オスとメスのゴジラが登場する話」を書いて応募したことがあるからです。
あれは『帰ってきたウルトラマン』のシーゴラスとシーモンスの話(13話・14話)を下敷きにしたもの(パクリとも云う)でしたが、あの話からウルトラマンを抜いてゴジラに当てはめただけでかなり良いストーリーになりました。
例えば、今回日本に上陸するゴジラには実はつがいのメスがいたがアメリカの核実験のため死んでしまい、雄ゴジラが復讐のため日本に駐留しているアメリカ軍を襲いに来る・・・という考え方も有りだと思います。
アンギラスとかキングギドラとかメガロ(笑)とかいった別種の怪獣が出てくることは無いにせよ、何らかの形で「あのゴジラが最後の一匹とは思えない」という初代『ゴジラ』の名セリフを踏襲すると思います。
【ゴジラをどう倒す? あるいはどう追い払う?】

今回もオキシジェン・デストロイヤーが出てくるかどうかは分かりません。
でも、最終的にゴジラを倒す(もしくは追い払う)のはアメリカ軍ではなく、日本人科学者が密かに作った何らかの新兵器に違いないと私は確信しています。
そこまで言い切る理由は、昨年5月にエキストラとして参加した場面にそれを匂わせるセリフがあったからです。
敷島(神木さん)がある人物の消息を訪ねている場面で、神木さんは「今の状況を好転させることが出来るただ一人の人物だから捜して欲しい」という内容のセリフを言っていました。
敷島が探しているその人物こそが旧作『ゴジラ』(昭和29年)の芹沢博士に相当する人物であるはずです。

こんな風に「こうかも知れない」「いや、やっぱり違うかな~」などとアレコレ想像(妄想)することも映画公開前の楽しみ方の一つです。
公開まであと一日。
私が観るまではあと5~6日?。
劇場で歓喜するか、あるはガッカリするかは分かりませんが、どちらにせよこうしてワクワクドキドキしていられる今がゴジラファンとして一番楽しい時期なのかも知れません。
でも、私が今一番気になっているのは・・・
「自分が参加した復員庁のシーンがカットされていませんように。(-人-〃)祈」
という事だったりするのですがね(笑)。
m(__)m
齢59歳のゴジラファンの妄言にお付き合いいただきありがとうございました。