わたしは見た! 史上最凶のダークなゴジラを!
未鑑賞の方は絶対お読みにならないでください。
トガジンです。

7日の火曜日に観てきました!。

場所は109シネマズ大坂エキスポシティ!。
7月の『インディ・ジョーンズ』以来ですから約4ヶ月ぶりです。
今回も一本の映画を観るためだけに福井から大阪まで片道4時間かけて行って参りました(笑)。

今回は午前と午後に2回見ています。
1回目は朝10時5分からの回。

2回目は昼食と仮眠を挟んで15時45分からの回です。
10時5分の回に確実に間に合うよう朝5時に家を出た私にはしばしの睡眠が必要でした(笑)。

スクリーンはシアター11のIMAX。
2015年12月の『スター・ウォーズ:フォースの覚醒』以来、SF大作映画や怪獣映画のほとんどをこのスクリーンで観ています。
私の『ゴジラ-1,0』初観賞の場はここ以外考えられません。
ド迫力映像に圧倒され、大音響を全身に浴び、そして意外に奥深いストーリーに心奪われました。

興奮冷めやらぬままの勢いで書き始めたものの、様々な解釈が湧き出てきて私の中でまだ整理出来ていません。
そこで、先週書いた記事「トガジン的『ゴジラ-1,0』大予想(大妄想とも云う)」の答え合わせをベースに実際に観て感じたことを加えて書いてみました。
【昭和22年の意味】

時代設定が終戦からわずか2年後の昭和22年だと知ったときから、私はずっと「今回ゴジラを迎え撃つのはアメリカ進駐軍に違いない」と思っていました。
大日本帝国軍は終戦直後の昭和20年9月に全て武装解除されています。
つまり、この時代の日本で「戦う力」を持っているのはマッカーサー連合国軍最高司令官率いるアメリカ進駐軍しかないと考えたからです。

これは「当たらずとも遠からじ」でした。
アメリカ海軍の艦艇が不明巨大生物に襲われたニュースが出てきたときには「おっ、俺の読みが当たったか?」と思いましたが、当時のアメリカとソ連が冷戦状態にあったことを失念していました。
そんな情勢下で日本に駐留している戦力を動かすことはソ連を刺激することになります。
国際情勢を鑑みた米国は「日本の問題は自分たちで始末しろ」と関与せず、その代わりに自沈を待つばかりだった旧・日本軍の艦艇4隻を返還するのみでした。

でも、アメリカ軍の艦艇がゴジラの襲撃を受ける場面は具体的な映像として描写して欲しかったです。
なぜなら、ビキニ環礁の核実験でゴジラを巨大化&狂暴化させたのはアメリカなのですから。
【敵怪獣は登場したか?】
しません。
『シン・ゴジラ』と同様、第一作とは全く異なる世界線に位置する作品でした。
でも、深海魚がプカプカ浮いてきたとき「まさかのショッキラス登場?」と思ったことはここだけの秘密です(笑)。
【ゴジラをどう倒す? あるいはどう追い払う?】

天才科学者が発明した対ゴジラ用超兵器(オキシジェン・デストロイヤーや抗核バクテリアみたいなモノ)が登場するのだろうと思っていましたが、普通の民間人が現実的に考え得た対ゴジラ作戦が展開しました。
最初に『ジョーズ』みたいにゴジラの口の中に機雷を咥えさせて爆破する戦法を見せ、海底1500メートルの深海に沈めてすぐ再浮上させて弱ったところに口の中に爆弾を撃ち込み中から破壊する。
実にめんどくさい作戦ですが(笑)理には適っています。
一人の天才科学者の発明品で決着をつけるのではなく、その時代の日本人が持てる知恵と勇気を集結した最後の戦いは本当に見応えがあって手に汗握りました。
【英霊説】

私は『ゴジラ』第一作の裏解釈として囁かれた「ゴジラには太平洋戦争で戦死した者たちの魂が乗り移っている」というゴジラ英霊説をベースにするのではないかと考えていました。
この点も「当たらずとも遠からず」でした。
むしろ、そうでなければ時代設定をわざわざ終戦後すぐの昭和22年にした意味がありません。

ゴジラは銀座から国会議事堂前の戦車隊めがけて強烈な放射熱戦を放ちます。
沸き上がるキノコ雲。
勝鬨の咆哮を上げるゴジラ。
野田(演:吉岡秀隆)の話によると「あの襲撃によって東京はゴジラの縄張りになった」とのことです。
ということは、あの放射熱線は犬が自分のテリトリーにある電柱に小便ひっかけるようなものなのでしょうか?(笑)。

冗談はさておき(汗)、国会議事堂と銀座のすぐ近くには皇居があります。
あの爆発規模では皇居もただでは済まないでしょう。
これはある意味、歴代の全ゴジラ映画において最もダークでチャレンジングな描写だったと思います。
ゴジラが「陛下」に向けて牙を剥いたことは今まで一度たりとも無かったのですから。
戦争の生き残りである秋津艇長(演:佐々木蔵之介)が「この国」に対する怒りと不満を吐き捨てるように語っていましたが、あれは分厚いオブラートに包まれた作者の本当の意図だったのかも知れません。

あと、アメリカ軍が広島・長崎に次ぐ第3の原爆投下目標にしていたのは東京だったそうです。
東京の空に立ち昇るあのキノコ雲は、戦時に想定されていた最悪の状況をイメージしたものだったのかも知れません。
まさにマイナス・ワン!。
絶望に絶望を畳みかける容赦ない厄災です。
【胡蝶の夢?】

大戸島で整備兵を見殺しにしてしまった特攻崩れの敷島(演:神木隆之介)の呵責の念がこれでもかとばかりに繰り返し描写されます。
予告編にあった「許してくれない」という敷島のセリフは、「ゴジラが人間を許さない」という意味ではなく「先立った仲間たちの魂が戦後も彼の心を捕え続けている」という意味でした。
そして、そんなネガティブ思考の男が良き仲間たちや綺麗で優しい女性と可愛い娘に支えられて再び生きることを始めるポジティブな物語・・・。
・・・と、1回目を見終わった時はそう感じました。
しかし、2回目を見たとき敷島のあるセリフがひどく気になったのです。
「今の自分は本当に生きているのか?」「本当の自分はとっくに大戸島で死んでいて、今の状況はその屍が見ている夢に過ぎないのではないか?」と「胡蝶の夢」的な話をする場面が2度も繰り返し出てきます。
1度だけなら戦争のトラウマに怯える敷島の心情表現のひとつに過ぎませんが、あえて2度繰り返したということはそこに何らかの意図が込められていたはずです。
私には「ゴジラの存在も典子や仲間たちとの出会いも、戦争時の悪夢から逃げ惑う敷島が抱いた妄想の産物なのかも知れない」という裏解釈が隠れているように思えました。

そう考えて見ると、大混乱の銀座で敷島が都合よく典子を見つけたり、死んだと思っていた典子が実は生きていたという強引なハッピーエンドにも納得いきます。
スミマセン。
これはあくまで私の妄想に過ぎません。
だって、2回目を見たときも敷島の脱出やラストの再会に私の目頭が熱くなったことは紛れもない事実なのですから。
【原爆や水爆実験との関係】

私としてそろそろゴジラ映画は広島・長崎の原爆をモチーフにするべき時に来ているのではないかと考えています。
しかし、今回のゴジラも広島・長崎の原爆に直接言及することはしませんでした。
それでも、ゴジラが放射熱線を放ったあとのキノコ雲が原爆のそれと酷似していたり、生き残った敷島の頭上に黒い雨(放射能を含む有毒な雨)が降ってきたりと、具体的な説明はないにせよ日本に落とされた原爆のイメージがハッキリ描かれていました。
その点だけでも高く評価すべきだと思います。
ところで、ラストシーンで典子のうなじに着いていたアザが何だったのかが気になります。
せっかく生き残ったのに、多量の放射能を浴びて原爆症になってしまった彼女の命は残り僅かという残酷な現実を突きつけているのか?。
それとも飛び散ったゴジラ細胞が付着して体内に侵食しているのか?。(だからあの大爆発に巻き込まれても生きていた?)
そうだとしたら、彼女の最後のセリフ「あなたの戦争は終わりましたか?」が違うイメージに聞こえてきます。
どちらにせよ、絶望の畳みかけであることに変わりありません。
【最後に私の参加シーンのこと(笑)】
映ってました!。
カットされてませんでした!。
\( 'ω')/ヒャッホー!!
引きのカットも含めて3カットも映ってました。
公開初日に観てきた友人が「映ってたぞ!」と知らせてくれたのでカットされていないことは分かってましたが、あれほどガッツリ映っているとは思っていませんでした。
神木さんの大声に驚いて「え?」と目を向ける絶妙なタイミングが我ながら良い芝居だったと自画自賛しております(笑)。
ただし、弛んだ二重あごとお腹の出っ張り具合が気になりましたが・・・(汗)。
山崎監督、ありがとうございますっ!。
『シン・ゴジラ』に続き、再びゴジラ映画の一部になれました。
また、あの日一緒に参加したお仲間たちの姿を画面の中に確認出来て今は感激ひとしおであります。
撮影に参加したときの出来事は昨年5月に一度記事にしていますが、あの時は撮影内容については参加規約で禁止されていたため書くことが出来ませんでした。
年末か年明けくらいに撮影当日の話をもっと詳しく書き足した完全版記事をアップする予定です。
思いつくまま書き殴ったため乱文・長文になりましたが、これが2回見た時点での私の偽らざる感想です。
お付き合いいただきありがとうございました。m(__)m