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映画と日常

ゴジラシリーズ全作品レビュー2 『ゴジラの逆襲』(1955年)

トガジンです。
ゴジラシリーズ全作品レビュー、今回は第2作目のこの作品です。
世間的には低評価な作品であり私にとってもそれは同様なのですが、大阪での学生時代の思い出が詰まっている作品でもあります。

ゴジラの逆襲
1955 ゴジラの逆襲
実はこの作品、私が映画館で観たことがないゴジラ映画の一つです。
初期のレンタルビデオ(当時は一泊二日で千円近くしたと思います)で観たのが最初でした。

<あらすじ>
二匹目のゴジラと暴竜アンギラスが同時に出現した。
オキシジェンデストロイヤーも今は無く、退治する方法は皆無だった。
徹底した灯火管制も虚しく2匹は大阪に上陸し破壊の限りを尽くす。
大阪でアンギラスを葬ったゴジラは続いて北海道に出現した。
防衛隊は雪山に追い込んで生き埋めにする作戦を立案する。

あらすじを最小限で書いてみましたが、前作と違って「絶対に外せないポイント」がほとんどありません。
強いて言うなら、最後の氷漬け作戦立案の元になった小林パイロット(演:千秋実)の犠牲くらいでしょうか。

【二匹目のドジョウゴジラ】
G01最後の一匹とは思えない
「あのゴジラが最後の一匹とは思えない・・・」
『ゴジラ』(昭和29年)のラストシーンにおける山根博士の有名なセリフです。
前作はあれ一本で完結している作品ですから、このセリフが意図するものは純粋な反核メッセージだったはずでした。

ところが本作では「これ幸い」とばかりゴジラ再登場の口実にされてしまいました。
あまりにも安直で節操が無さすぎです。
後年になってから『ゴジラ』を観た人に大きな悪影響を与えてしまい、なお且つ『ゴジラ』一作目の価値をも貶めてしまう愚行です。

それでもこの映画の出来が良ければ救いもあるのですが、脚本の練り上げも特撮の作り込みも不十分で急造の印象が強いです。
前作の公開が1954年11月で本作の公開は翌年の4月末。
実質の製作期間は3か月程度だったのではないでしょうか?。
本多猪四郎監督はすでに次回作に着手していたため参加されず、音楽の伊福部昭先生も不参加でした。
これらのことも作品世界の違和感・小粒感に繋がっていると思います。

前作の大ヒットを受けて熱の冷めやらぬうちに続編を世に出したかったことは理解出来ます。
しかしゴジラを再登場させて今後も稼ぎたいのであれば、リブート編となる本作も十分な準備期間と資金と、そしてそれにふさわしい人材を注ぎ込むべきでした。
7年後の『キングコング対ゴジラ』がヒットしたから良かったようなものの、当時の経営者や興行主たちの認識の低さのために『ゴジラ』の作品価値が卑しめられたまま消え去ってしまう可能性さえあったのです。

【反核】
ゴジラもアンギラスも核実験の影響で出現したことになってはいますが、言葉による説明以上の具体的描写はありません。
前作において強烈な印象を残した避難民の描写や放射能汚染を感じさせる要素も今作には全くありません。
田中友幸プロデューサーが関与していながら、二作目にして原水爆へのメッセージ性は薄められています。
これも興行サイドからの要望だったのでしょうか。

【アンギラスの思い出】
G02 ゴジラ対アンギラス
序盤から二匹目の怪獣アンギラスが登場します。
ゴジラ再登板だけでは心許ないということに対してのテコ入れでしょうが、これをきっかけに以降のゴジラシリーズは対戦ものに舵を切っていきます。
ところが、せっかく登場したアンギラスは映画開始から1時間もたたないうちにゴジラに敗れて死んでしまいます。
まるっきり前座扱いですが、そのあとアンギラス戦を超えるような見せ場が無いためにどうにもスッキリしませんでした。

大学で映画を勉強していた私は、当時自分なりの『ゴジラの逆襲』をリライトしてみたことがあります。
良い作品のシナリオを完成作品を観て書き起こしてみたり、「自分ならこうする」というものをシナリオ化してみるということをやっていてこれもそのうちの一つでした。

<あらすじ・改>
大阪に上陸したゴジラとアンギラスの格闘は続く。
アンギラスの唾液には毒性があり、噛まれたゴジラの動きは次第に鈍っていった。
結局は力で勝るゴジラがアンギラスを葬り去るが、毒のせいでゴジラも一旦海へと還っていった。
対策本部がアンギラスの毒を分析したところ、同じ核の影響で蘇ったアンギラスの毒はゴジラに対して有効である事が判明。
数日後、北海道に上陸したゴジラに対して、アンギラスの毒を注入した爆弾を打ち込む作戦が開始される。
しかしゴジラの表皮は固くて効き目が無いため口の中に直接打ち込む必要があった。
放射能火炎の直撃を受ける危険をかいくぐり、多大な犠牲を出しながらもようやくピンポイント攻撃に成功した。
そして動きの止まったゴジラを人口的に起こした雪崩で氷に閉じ込めて、事態は一応の解決を見たのだった。

G02 アンギラス
これならばアンギラスも無駄死ににはなりません(合掌)。
また、山根博士以外にも恵美子を登場させて、故・芹沢博士の葛藤を伝えて新兵器開発に反対するシーンも盛り込んでいます。
ちなみに、ゴジラの口内に直接打ち込むというシークエンスは『スター・ウォーズ』のデス・スター攻撃のパクリでした。

【大阪とゴジラ】
ゴジラ映画はこれまで何度かリブートされていますが、その二本目は必ず大阪が舞台になっています。
この『ゴジラの逆襲』然り、『84年版ゴジラ』に続く『ビオランテ』然り、『ゴジラ2000』の次の『メガギラス』然りです。
それぞれの前作のヒットを受けて関西の興行界から要望があってのことなのでしょうか?
いつの日か『シン・ゴジラ』の次に来る国産ゴジラが大阪舞台になるかどうかに注目しましょう(笑)。

G02 淀屋橋付近
個人的な話ですが、私は大学進学から大阪で職に就いて福井県に還るまでの約19年間大阪に住んでいました。
そのため、この映画の背景には見覚えのあるところが多く見られます
現在の御堂筋の雰囲気は全く違いますが、囚人たちが逃げ込む淀屋橋の地下鉄駅入口の佇まいは今もあんな作りです。

G02 大阪城
初めて『ゴジラの逆襲』を観た後に、大阪城へゴジラやアンギラスの立ち位置を見に行った思い出があります。
ゴジラに敗れたアンギラスが落ちていったお堀を寒さに震えながらしばらく眺めていました。
思えばあれが私にとっての最初のロケ地巡礼だったかもしれません。

【ツッコミどころあれこれ】
意図したものか、不可抗力か、あるいは単なるうっかりなのか、『ゴジラの逆襲』にはおかしな表現が随所に見られます。

【前作のフィルム】
G02 前作鑑賞
対策会議のシーンで、前作のフィルムを1分半以上無音のまま映写する箇所がありましたがあれはかなり異様な空気感でした。
山根博士の説明や見ている人の驚く声もなく、ただカラカラと映写機の音が鳴るばかりなのです。
あれがもし、現在のテレビ番組内で行われようものなら「放送事故」になってしまうほどの長さで職業柄とても気になります。
しかしその反面、音無しの特撮シーンだけでもじっと見入ってしまう吸引力があったことも事実です。

【撮影スピード】
怪獣映画の撮影では巨大生物のゆっくりした動きを出すために高速撮影して重厚感を出しています。
ゆったりした特撮パートと通常の実写パートという動きのスピードが違うシーンを組み合わせることで、異質な両者が同一世界に存在するように見せるのが怪獣映画の基本構造です。
ところが本作のゴジラとアンギラスの格闘シーンは、フィルムスピードを間違えたのかチャカチャカとした素早い動きでした。
そのため本作では、ミニチュアセットの中で怪獣の着ぐるみがドタバタやっているようにしか見えず、挿入される警官たちとのサイズ差も感じられません。
前作では恐怖を憶えるほどの重厚な動きを表現していましたが、今回は2本目の怪獣ものということで円谷特技監督がいろいろ実験をしてみたということなのでしょうか?。

【音楽】
本作の戦闘・破壊シーンは前作と比べて非常に淡々とした印象があります。
平たく言えば退屈です。
その理由は明らかで、ゴジラの大阪上陸シーンなどはひたすら砲撃音や爆発音だけで音楽がほとんどありません。
途中でアンギラスが加わって状況が悪化した時くらい緊迫感のある音楽が鳴っても良さそうなものですが、同じようなトーンで延々と戦闘が続いていきます。

ビデオ編集環境をお持ちの方は、『ゴジラの逆襲』の怪獣登場シーンに伊福部昭先生の楽曲をかぶせてみるとかなり面白くなります。
ただし、公表する場合にはコンプライアンスにお気を付けください。

【誰?】
G02 意中の人
ゴジラを封じるアイデアを残して犠牲になってしまうパイロットの小林。
その小林が最後に出発するときに意中の女性の話をするという、いわゆる「死亡フラグ」シーンがあります。
しかしその女性の写真は映画に登場していない人物であり、小林にとってどういう相手なのか全く分からないまま終わってしまいました。
編集でカットされてしまったのでしょうか?
本筋には関係ないことですが今も気になっています。

【太平洋戦争の名残り】
G02 飛行帽
ジェット戦闘機のパイロットが第二次大戦のゼロ戦乗りみたいな簡素な飛行帽姿という演出ミスがあります。
本作のDVDオーディオコメンタリーで、当時の特撮スタッフだった有川貞昌さんがとても悔やんでいらっしゃいました。
この反省を受けて、翌年の『空の大怪獣ラドン』ではちゃんと 金属製ヘルメットと酸素マスクを付けたパイロットが描かれています。
宴会場のシーンで軍隊同期生の集まりが描かれていたりもして、太平洋戦争の名残がまだまだ残っていた時代の作品です。

【北方領土】
G02 神子島
映画の最後でゴジラを迎え撃つ場所が千島列島の神子島に設定されていました。
これがこの映画最大のミスです。
千島列島は、1946年にソビエトの行政管轄区域となり国有化宣言もされてしまっています。
日本国民としての想いは別として、政治的には外国なのです。
ここへ上陸したゴジラを迎え撃つべきはソ連軍だったはずで、舞台選定を根本的に間違えています。
これはもう、脚本練り上げ不足以前の問題ではないでしょうか。


気が付いてみれば、またかなりの長文になってしまいました。
内容については一言も褒めていないのに、これはある意味凄いことです。

ゴジラの逆襲 記念写真
特撮班スタッフの皆さま、お疲れさまでした。
文句ばっかり言ってごめんなさい。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。
次はゴジラシリーズ最高の観客動員数を記録したあの作品です。
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COMMENTS

2 Comments

There are no comments yet.

A-chan  

2大怪獣大阪を襲撃

こんばんは。
「ゴジラの逆襲」は前作から約半年で制作された第2作目のゴジラ映画ですが、この新作の上映の早さから第1作目の反響がどれほど大きかったかが伺えますね。
舞台は大阪ですが東京の時と違い、街が焼け野原になっても復旧に向けて明るく生き抜く人々が描かれています。この辺に大阪人の逞しさを感じ、同じ大阪人として誇らしく思うのですが、それ故に第1作目のテーマである「核の恐怖」が薄れてしまってますね・・・・・・。
(ゴジラとアンギラスが上陸したのは大阪市此花区の海沿いの工場地帯。余談ですが、私は此花区の西九条という所で生まれました。両者の上陸から??年後の事です。今はUSJで賑わってますが、昔は何の変哲も無い工場街だったんですね)

ここで初登場のアンギラスですが、体に分散する脳というのは正確には発達した神経の塊のようで、ここで察知された敵の動きが脳に伝わるから素早い動きができるようですね。こんなの相手に勝ってしまうゴジラは凄いですが、まあ戦いは素早さだけで決まるものでは無いですけどね。
(トガジンさんの仰られるように、アンギラスの何かがゴジラ迎撃に役立つという展開もなかなか面白いですね)

ゴジラのような飛び道具(熱線)を持たないアンギラスは作戦次第で身動きできなくして弱い首元を集中攻撃すれば倒す事ができそうですが(初期設定ではアンギラスも熱線が吐けたとか)、ゴジラはそうはいかないので照明弾で遠ざける対処法が取られました。でも、本作では人間の愚行が事態を最悪の方向へ向かわせてしまい、最終的には多くの犠牲を出しながらゴジラを氷の中に生き埋めにしました。
こうやって生かされた事で、後々2代目ゴジラが数々の怪獣対決を経て人間との相互理解のきっかけを得る事になりますが、私はこれで良かったと思います。
オキシジェンデストロイヤーなどというおぞましい兵器はこの先作られてはならないし、ゴジラにも他の怪獣達にも使われて欲しくないですから。

2019/10/20 (Sun) 00:47 | EDIT | REPLY |   
トガジン

トガジン  

「戦後」と「高度成長期」の間に挟まれたゴジラ映画

A-chanさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

>前作から約半年で制作された

この東宝の商魂は凄いですね~。
だって前作でゴジラは死んでいるのですから。
いくら「あのゴジラが最後の一匹とは思えない」というセリフがあったからって節操無さすぎです(笑)。

>舞台は大阪

『ゴジラの逆襲』の構成は前半の大阪パートと後半の北海道パートにはっきり分かれています。
大阪については「東京の次は当然大阪!」という地元興行主の要望があったからだと思うのですが、後半で北海道が舞台に選ばれた理由がよく分かりません。
記事の中でもちらっと書きましたが、ソ連(当時)に対して「北方領土は日本固有の領土である」を誇示したかったからですかね?(笑)。

>此花区の西九条という所で生まれました

古い作品とはいえ、ゴジラ映画の舞台になった地にご縁があるとはゴジラファンとして羨ましいです。
私の故郷(今も住んでますが)福井県は『ゴジラVSビオランテ』で原発に向うゴジラを阻止する作戦の舞台になりましたが、実際には現地での撮影は行われませんでした・・・。

あと、私は大阪の大学に進学後そのまま大阪で十数年働いていたので合計18年間大阪(羽曳野市→守口市)に住んでいたのですよ。
淀屋橋の地下鉄入り口付近の風景が今とあまり変わらない風景だったので、なんだか懐かしい気持ちで見ています。

>こうやって生かされた事で、後々2代目ゴジラが数々の怪獣対決を経て人間との相互理解のきっかけを得る事に

前作に引き続き原作(ストーリー)を担当した香山滋氏は「再びゴジラを殺すのは可哀そうだ」と言って殺さずに氷詰めにする結末にしたそうです。
その後観客からの「人間に虐められてばかりでゴジラが可哀そうだ」という投書があったりして、約10年後の『地球最大の決戦』から2代目ゴジラのスタンスは人間寄りに変わっていきます。
その因子は原作者の手によってすでに『ゴジラの逆襲』に埋め込まれていたのですね。
そう考えると、昭和ゴジラシリーズ全15作品にまた一本の縦筋が通ったような気がします。

>第1作目のテーマである「核の恐怖」が薄れてしまってます
>オキシジェンデストロイヤーなどというおぞましい兵器はこの先作られてはならない

確かに核の恐怖もオキシジェンデストロイヤーも出てきませんが、『ゴジラの逆襲』もまた太平洋戦争の後遺症を引きずっている作品です。
終盤、千秋実さん演じる小林パイロットの尊い犠牲がきっかけになってゴジラを氷の中に埋める作戦が立案されるわけで、(芹沢博士の葛藤ほどの重みはないにせよ)小林もまた戦争のメタファーであるゴジラに対する贄であったように思えてなりません。
戦後10年ほどしか経っていないこの時代性なのか「(特攻まではいかずとも)なにがしかの犠牲なしには勝利は得られない」「その勝利も悲しみを伴うもの」という無常感を伴っています。

8年後の『キングコング対ゴジラ』では、東西2匹の巨大怪獣にそれぞれスポンサーがついて「どっちが勝つか!?」なんて話を明るくやってるわけですが、それを思うと隔世の感がありますね。
(もっとも東宝特撮全体では『フランケンシュタイン対地底怪獣』『海底軍艦』でも戦争の後遺症を描いていましたが)

ちなみに『ゴジラの逆襲』公開の翌年には「もはや戦後ではない」というあの有名な言葉が発表されています。
「核」という戦争の傷跡をえぐって見せた初代ゴジラと違い、2代目のデビュー作は高度経済成長にまだ届かないどこか中途半端なイメージがありました。
『ゴジラの逆襲』は、あと1~2年時間をおいて次の時代の日本を背景にした作品として作られるべきだったと思っています。



コメントの返信にしては、ブログ記事に出来そうなくらいの長文になってしまいました(笑)。
スミマセン・・・。

2019/10/20 (Sun) 17:29 | EDIT | REPLY |   

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