ゴジラシリーズ全作品レビュー4 『モスラ対ゴジラ』(1964年)
私が生まれた年に公開された作品ということもあり、必要以上に愛着を感じている作品です。
もっとも、この映画の公開日には私はまだ母のお腹の中にいましたが・・・。
『モスラ対ゴジラ』

<あらすじ>
超大型台風が猛威を振るい、静之浦に巨大な卵が流れ着いた。
インファント島から来た双子の小美人がそれがモスラの卵であることを告げるが、卵で大儲けを企む興行師たちはにべもない。
一方、倉田浜干拓地からゴジラが出現し、四日市の石油コンビナートを焼き払い名古屋を破壊して卵へと向かう。
自衛隊の砲弾も電撃も効果が無く、ゴジラの足を止めることは不可能だった。
人間の要請に応えたモスラはゴジラに対して奮戦するがやがて力尽きてしまう。
万策尽きたかにみえたその時、モスラの卵に変化が現われた。

テレビ放映で見たことがあったかも知れませんが、劇場での初見は『ドラえもんのび太の恐竜』との併映でした。
ただしこの時のものは短縮版であり、冒頭にゴジラとモスラの戦闘シーンを集めたアバンが付け加えられていました。
当時は中学を卒業してすぐの頃で、小さい子供たちを差し置いて席を陣取るのも憚られたため後ろの通路で友達と立ち見した記憶があります。
長編映画としての『ドラえもん』にも興味はありましたが、やはり「人間の敵だった昔のゴジラを見たい」という気持ちが強かったです。
全長版の『モスラ対ゴジラ』を劇場で観たのは、第一作や『キンゴジ』と同じく「ゴジラ1983復活フェスティバル」の時でした。

当時の『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』の流行を受けてか、なんと松本零士がポスターの絵を描いていました。
よく見ると胴体は初代の躯体そのもので顔だけを描き替えた感じです。
コピーを駆使する松本氏の手法がここにも活かされていました。
【視点】

今回のゴジラは、初代によく似たスタンスで描かれているように思います。
猛烈な台風とともに現れて、戦後急激に発展した文明を破壊し尽くすという行動パターンは全く同じです。
前作でキングコングと子供みたいに張り合っていたのが噓のように、目につくあらゆるものを敵対視して襲いかかります。

今回ゴジラが最初に破壊するのは四日市の石油コンビナート地帯です。
この地域は当時大気汚染が非常に酷い状態で、「四日市ぜんそく」などの公害病が社会問題になっていました。
経済成長が進むにつれて公害問題も同じように拡大していった時期だったのです。
この時代のゴジラが四日市を襲ったのは必然だったと言っても良いでしょう。

『ゴジラの逆襲』『キングコング対ゴジラ』では影を潜めていた放射能に関する描写も復活しています。
核の被害に遭ったインファント島の無残な姿を描いて見せていてズッシリ思いです。
ただし、このように社会性を持ったゴジラ映画はこの作品でひとまず終わりです。
次回作からは、モスラやラドンと(怪獣語で)口論したり腹を抱えて笑ったり、揚げ句の果てには「シェー」をやったりと擬人化が止まらなくなっていきます。
ゴジラが再び公害と対峙するのは、この作品の9年後の『ゴジラ対へドラ』になります。

新聞社が独自にゴジラ対策やモスラの卵問題を考える場面がありますが、新聞が世論をコントロールする力を持つことへの懸念を示すセリフもあります。
昨今は、ネットにおける情報交換や交流によって人の繋がりが広がっているのも事実ですが、一方では情報漏洩や扇動によって世の中の動きを意図した方向へ向けさせることも可能になっている世の中です。
ネットと新聞の違いこそあれ、マスメディアの自制心を促す描写が53年前の映画に描かれていることに驚かされます。
【造形】

個人的にゴジラの造形はこの作品のものが一番好きです。
『キンゴジ』よりも材質がやわらかい印象で、身体をゆすって砂を落とす仕草や頬をぷるぷるさせて動く姿は中島春雄さんの演技とも相まって生き物感がすごくよく出ています。

成虫・幼虫どちらのモスラもキングコングのように中の人間を意識することが無いためか物語世界に没入出来ます。
それでいて、小美人を通じて間接的ながら意思疎通も出来るためストーリーをコントロールするのに無理がありません。
【人間】
前作における有島一郎さんのような、共演者はおろか怪獣の存在まで喰ってしまうほどの突出したキャラクターはいません。
今回は全ての出演者が真摯な演技と程よいユーモアをもって、心地よく空想物語を楽しませてくれます。
そしてさらに、今回は怪獣と同じく人間の業の怖さも描かれている気がします。

モスラの卵で大儲けを企む熊山(演:田島義文)と虎畑(演:佐原健二)の二人は、卵の返却を頼みに来た小美人さえ商売に利用しようとする金の亡者ぶりを見せてくれます。
しかもゴジラ出現により計画が失敗に終わったことから、最後には仲間割れの末に殺し合いまでする始末です。
しかし、演じたお二人の前作『キングコング対ゴジラ』での役柄は・・・

恋人思いの好青年と心優しく実直な船長さんでした。
正反対の役ですが、お二人とも実に生き生きと楽しそうに演じていらっしゃいました。

今回も避難民の描写がありますが、前作に比べてその人数と規模が大変なことになっています。
名古屋市内のシーンは大部屋俳優やエキストラだと思うのですが、最後の漁村のシーンはたぶん地元住民の人達だと思います。

本多猪四郎監督作品らしく避難誘導する警察官や自衛隊員の姿がしっかりと描かれていますが、実はこの警官役を務めているのは助監督などの制作スタッフです。
素人さんがほとんどを占める大勢のエキストラを誘導しつつ、ヘラヘラ笑ったりおしゃべりしている奴がいないか監視もしています。
実際、『シン・ゴジラ』の中で誘導している消防士の一人は、東宝スタジオで会った若い助監督さんでした。
【難点】

この映画の難点は、『ゴジラ』シリーズでありながら1961年公開の『モスラ』が前提となっていることです。
登場人物たちは当然の事実として以前のモスラ上陸事件のことを知っているわけですが、観客からするといろいろと混乱が生じます。

その最たるものが、『モスラ』と『モスラ対ゴジラ』の両方に中心人物として出演されている小泉博さんの存在です。
『モスラ』では言語学者の中条信一役で、ザ・ピ-ナッツ演じる小美人とは最も身近に接していました。
今回も似たような立場で生物学者の三浦博士を演じていますが、これは大半の人が戸惑うキャスティングだと思います。
公開当時は間に3年の月日があったから良かったかも知れませんが、ビデオで立て続けに観ることも可能な現代ではこのようなキャスティングはあり得ません。
『モスラ』を先に観ておけばより楽しめる作品ですが、言語学者の中条と三浦博士はあくまでも別人であるという強い認識力が必要とされます。
最後に・・・。

「皆さん、一言聞いてください」
自分が生まれた年に公開された作品ということで、つい年齢のことを考えてしまいます。
現在52歳で、この先何年生きて何本の映画を観られるのだろうか、と。
「ゴジラ」は大好きなキャラクターでありコンテンツですが、その中でも繰り返し鑑賞するに値する作品は限られています。
中には今回のブログ執筆用に観るのが最後の鑑賞となる作品もあるでしょう。
(どれとは言いませんが・・・)
しかし、『モスラ対ゴジラ』についてはまだまだ観るべきものが詰まっています。
私にとっては『ゴジラ』シリーズ中で常に5本の指に入る作品であり、その評価は変わることはありません。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
次回は美しき金星人が登場するあの作品です。